Mrs. GREEN APPLE『POPS』先行レビュー

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2026年4月5日、Mrs. GREEN APPLEのオフィシャルファンクラブ「Ringo Jam」設立10周年を記念するイベントのひとつとして、「PMGA SUMMIT about PHASE-3」が都内某所で開催された。そこで大森元貴は、当時制作中だったアルバムについて、2023年の5thアルバム『ANTENNA』以降、レコード大賞3連覇、『第76回NHK紅白歌合戦』で白組のトリを務めるなど、数々の大きな結果を残した後に出す作品だからこそ、「(今のミセスが)普通のアルバムを作っても面白くない」「誠実で実験的なアルバムでないといけない」と語っていた。それから約5ヶ月が経ち、ついにニューアルバム『POPS』がリリースされる。
本来、POPSとは「ポピュラーな音楽」を指す言葉であり、広く一般に受け入れられる音楽を意味する。では、このアルバムは「みんな」のための音楽なのだろうか。そう考えたとき、ここで歌われているのは、「みんな」という大きな主語ではない。僕や君、あなたや私。誰にも代わることのできない、内省的な感情だ。なぜ、広く親しまれる音楽を想起させる『POPS』というタイトルを掲げながら、歌われているのはこれほどまでに個人的な想いなのか。そこに、このアルバムのひとつの核心があるように思う。

Mrs. GREEN APPLEの楽曲の総ストリーミング数は、Billboard JAPANの集計で180億回再生を突破している。しかし、彼らがその膨大な数を、ひとつの「大衆」として捉えているわけではないだろう。その一回一回の再生の先には、どんな人がいるのか。その人にとって、その曲にはどんな意味があるのか。彼らは数字の大きさだけでは捉えきれない、一人ひとりの存在を意識しながら、音楽を届けることと向き合っているように感じる。
2025年1月に放送されたTBS系テレビ番組『さんま・玉緒のお年玉!あんたの夢をかなえたろか30周年SP』内の企画で、同年3月に休校が決まっていた北海道標茶町の小学校をミセスが訪れ、全校児童4人の前で「ライラック」を披露したとき、演奏を聴きながら涙を流す少年の姿があった。その少年にとって、「ライラック」は単なるヒット曲ではないはずだ。友達や先生と過ごした時間、もうすぐ失われてしまう学校という場所、その場所で過ごしたかけがえのない日々。それらとともに、この曲は少年の記憶に刻まれているのだろう。
また、私の知り合いで職場や家に自分の居場所を見つけられず、人生の幕を閉じようとしていたとき、「Soranji」を聴いて生きることにもう一度向き合った人がいた。
「GOOD DAY」を家族と聴いた人も、恋人と聴いた人もいるだろう。
180億回という再生数は、ひとつの巨大な塊に見える。けれど、その中身にあるのは匿名の「大衆」ではない。それぞれ異なる生活を送り、異なる感情を抱えた人たちだ。ミセスの音楽が多くの人に届いているという事実は、そうした一人ひとりの積み重ねによって生まれている。

そして、新たに制作された『POPS』で描かれる「個」は、閉ざされた個人の内面ではない。そこにあるのは、迷いや矛盾まで抱えた一人の人間の姿だ。『POPS』は、そうしたパーソナルで内省的な部分に、これまで以上に正面から向き合った作品でもある。
今作に収録されている既発曲から触れるなら、「Brand New」がその象徴だ。ラブソングというと、どうしても明るく美しい感情に焦点が当たりやすい。だが、「Brand New」が描く愛には、喜びだけではなく哀しみもある。愛と哀の両方を隠さずに描くことで、単純な賛歌ではない、より説得力を持って響くラブソングになっている。
そして「lulu.」には「大丈夫/どこにも行かないよ/どこにも行けないよ。/ね。」という、誰かを安心させようとする言葉と、そこから逃れられない自分自身の感情が同時に存在している。希望だけでもなければ、諦観だけでもない。そのどちらも自分の中にあるということを、そのまま受け入れているように聴こえる。

誰しも、ひとつの感情だけで生きているわけではない。嬉しいのに寂しい。愛しているのに傷つく。前を向きたいのに諦めてしまう。大丈夫だと思いたいのに、大丈夫ではない。そうした矛盾を綺麗に整理してしまわない。そこには、大森が制作中のアルバムについて語っていた「誠実」という言葉が重なる。
ここでいう誠実さは、ただ正直なことを歌うという意味ではないだろう。人間の感情や社会を都合よく単純化せず、愛だけを取り出して美しく見せたり、希望だけを掲げて前向きにさせたりするのではなく、その裏側にある哀しみや迷いまで含めて描くこと。その複雑さを引き受けるからこそ、そこに描かれた光もまた、簡単には消えないものになる。

何より『POPS』にあるのは、誰にでも当てはまるように感情を薄めることで生まれる「大衆性」ではない。むしろ、自分にしか描けないものを、自分にしか歌えないところまで突き詰めていく。自分の内側にあるものを深く掘り下げながら、それをどうすれば遠くまで届けられるのかを考える。その二つを同時に追求する姿勢に、『POPS』という作品の強さがある。
そうして生まれた個人的な表現は、聴き手の人生と結びつくことで、新たな意味を持ちはじめる。
「僕」の話が、「あなた」の話になる。
「私」の感情が、「誰か」の記憶になる。
そこに生まれるのは、最初から広く共有されることを前提に整えられたものとは異なる広がりだ。

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